仕事の能力=善悪ではないという話。

私の会社も小さいながら働いてくれる社員がいます。映像制作のディレクターやカメラマン、ワークショップの店舗スタッフなど様々います。

当然ですが、仕事上の大なり小なりのミスなどは起こるわけです。発注ミスだとか、請求書を出し忘れたとか、承認なく備品などの購入をしたりだとか言い出せばキリがありません。

しかし一つ私が思うのは、
基本的には全て経営者(管理者)である自分の責任であるということです。
そのお話をしたいと思います。

メンバーのミスはミスは管理者が引き起こす

社員がミスを犯してしまった時、またはそのミスを繰り返してしまった時、当然起こったミスに対して注意したり、時にはきつく叱ることもあるでしょう。私にも経験があります。

しかしながらミスが発生した事実に関しては、そのミスを犯した人の能力を責めるよりも、ミスする環境であったということを管理者は反省しなければいけません。
なぜなら、ミスをした人間の能力で片付けてしまっては、いつまでも生産性が上がらないからです。

ミスしたことに関して管理者は姿勢をただすよう意識改革を促そうとすることもあるかと思います。ミスした人・ミスを繰り返す人に対して、「もっとやる気を出せ」「責任を感じろ」などの言葉をかける、そういうこともあるでしょう。しかし、これには全く意味がないと私は考えています。

それは憂さ晴らしにやっている事にすぎません(もちろん、そう思う気持ちはよくわかります)。そんなことをする前に、ミスを起こしてしまった「人」よりミスを起こしてしまった「事」に意識を向ける必要があります。

ミスは人よりも事に目を向ける事

残念ながら、ミスをする人間を内面の性質から変えるアプローチはほとんど意味がありません。その場数日は意識的に変わるかもしれませんが、すぐ元に戻ってしまいます。人の性質を変えるのはとても難しい事なのです。

それよりもミスが起きてしまった原因、すなわち仕事環境や仕組みの解決を考える方がはるかに簡単で、妥当な判断と言えます。ミスの焦点を人に合わせていることは、解決策を考えることを放棄している管理者としての自分自身の怠慢です。

冷たいようですが、人間の「仕事の能力」には個人差があります。これは仕方のないことです。それを嘆いて「もっと能力のある社員が欲しい」などと考えることは意味がありません。

能力のある人を採用する?

採用においても、「優秀な人」を求めるのはそれは当たり前と言えば当たり前ですが、それは「面接に来てくれた人たちの中」での話で、本質的に「優秀な人」というのはなかなか自分の会社には入ってきてはくれません。星の数ほどある企業の中で優秀である人が自分の元に来てくれると考える方が不自然です。まして零細企業なら尚更です。

そうであるにも関わらず、自分の会社に入って来てくれた、自分の部下になってくれた人に対してその人の能力に落胆したり叱責することは、宝くじに外れたからと言って買ったお店を糾弾しているのとそう変わりません。

むしろ、優秀な人でないと円滑に回す事のできない仕事であるということはその仕事の仕組みに欠陥があると考えるべきであり、仕事の再現性のない、組織としての継続性が低い企業体であると自ら認識する必要があります。

仕事は楽しく、生活はもっと楽しく

個人のパフォーマンスにフォーカスすることよりも、組織のパフォーマンスにフォーカスを当てれば、ミスが起こる度いちいち個人を叱責するよりもミスの起きない仕組みやシステムを考える方が効果的であるとわかるはずです。

私は、私の元で働いてれる社員の皆に感謝して、仕事の失敗なんかで自分の事を責めてしまうような事のない組織作りを考えたいと思っています。仕事の能力は人それぞれですが、仕事以外でその人その人に良いところはたくさんあるし、むしろそういうところの方が大事だと思っています。

「他にもっといい選択があるかもしれないが、あなたと喜びを共有したいからあなたを選ぶ。仮に、他にもっと優れた人がいたとしても、お互いを選んだのだから、とことん付き合う。がんばって、そこより優れた存在になればいいのだから。」
お会いしたことはありませんが、カヤックの柳沢社長のお言葉だそうです。仲間になってくれている人たちに良い思いをして仕事に取り組んでもらいたいですね。仕事の能力なんて、どうだって良いじゃないですか。

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